沖縄返還の訴えと私見
バスガイド嬢から
聞いた現地の声 |
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1969年4月28日 婦人民主クラブのチラシ
沖縄の即時無条件全面返還を実現させましょう! |
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●沖縄返還の歩み
・1969年3月10日
佐藤首相が沖縄返還問題で「核抜き・基地本土並み」で折衝する。と答弁した。
・1969年11月21日
佐藤、ニクソンの日米両首脳会談終了後に共同声明を発表した。
「沖縄の施政権返還は核抜き・本土並みで1972年」とする。
・1972年5月15日
沖縄返還日。沖縄の施政権が日本に返還されたことを指す。
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「ふうみん」が沖縄を訪問したのが、1970年の8月だった。
上記の沖縄返還が決定し、返還日まで後2年足らずの時期だった。
「ふうみん」は沖縄で顔なじみになった20歳位のバスガイド嬢に、「沖縄返還が決定して良かったですね。」と声を掛けたところ、返事は意外だった。
バスガイド嬢いわく「私たち沖縄の大部分の若者は、沖縄が日本に返還されてもらいたくありません。このままアメリカの支配下でいる方がいいのです。」
「日本のマスコミは沖縄の教職員組合やマスコミ等の左翼系の意見ばかりを伝えています。一般の庶民の意見が本土に伝えられることは皆無です。特に、沖縄の大部分の若者は日本よりアメリカの方が好きです。」
という返事をもらい、沖縄では日本に返還される事を全面的に歓迎支持されていると思っていた「ふうみん」はとても驚いた。
しかし、このバスガイド嬢の指摘は現在も全く変わっていないと思う。「ふうみん」は特に進歩的・人権派と称する大マスコミを信用していない。
今も新聞数紙のほか、ネットによる情報も常にチェックしている。このようなささやかな「サイト」を立ち上げて書いているのも少しばかり、この件が今でも影響しているのかも知れない。 |
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