目次 昭和38年の盛り場界隈図


銀座界隈


この頃、有楽町駅前には「日劇」や「朝日新聞社」のビルが建っていましたが、取り壊されて昭和59年に「有楽町マリオン」の新しいビルが建てられました。

その対面の「数寄屋橋」は首都高速道路の建設のため、このイラストの5年前の昭和33年に撤去されました。

「寄屋橋」は寛永6年(1629年)江戸城外郭見附として架けられ、橋の有楽町側に南町奉行所がありました。

「TOKYO味のプロムナード」より…
尾張町カドに丹筒型のビルが出現したり、数寄屋橋が姿を消し去ったり…。年配の人はむかしの銀座の情緒が亡くなってきたことをなげきますが、やはり銀座は日本の流行の中心。ことに若い人たち向きに改造されつつあるのが目立ちます。


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