目次 DISCOVER⇒JAPANの旅


中国地方の旅
46.12.31〜47.1.5




DISCOVER⇒JAPANの
スタンプを左に配した
1日目 昭和46年12月31日

「ふうみん」は友人二人と共に、年末年始休暇を利用した中国地方(特に山陰)の旅に出た。

東京⇔新大阪の往復だけの席を確保して、後は行き当たりばったりの男3人連れの旅だった。

30日の夜に集まり直ぐに飲み始め、当時終夜営業の赤坂「龍園」で朝を迎えた。

朝一番(6時発)の新幹線で東京駅から一路新大阪駅へ、寝ていなかったので車内では爆睡した。


新大阪駅から山陽線で姫路駅へ

姫路城を見学して倉敷駅へ

当時、大晦日の倉敷には宿が無くやっと倉敷駅近くの商人宿に泊まる。


2日目 昭和47年1月1日

元日の静かな倉敷の街を散策する「ふうみん」左と友人。

この二十数年後に倉敷を再び訪れた。
映画のセットのように安っぽく観光化された景観にガッカリした。


倉敷駅から宮島口駅へ

宮島タワーに登る。

宮島口駅で、DISCOVER⇒JAPANのスタンプに気づき収集を始める。


宮島口駅から山口駅へ

この日の宿は湯田温泉の「まるこ」。

夕食後、丹前姿で下駄を鳴らしてストリップを見に行く。元旦のせいかガラガラだった。


3日目 昭和47年1月2日

山口駅(9:46発)の普通列車で津和野駅(10:53着)へ車窓から雪がちらつく素晴らしい景色を眺めながら、山口線をゆく。

津和野の太鼓谷稲成神社で初詣。


津和野駅(12:56発)の普通列車で益田駅(13:36着)へ

この時、列車内で津和野駅で買った地酒を車内で飲んだ。すごく口当たりが滑らかで美味だった。




益田の醫光禅寺の雪舟庭園にて

「ふうみん」左と友人二人。


益田駅にはまだSLが走っていた。

どんよりとした雪雲にSLの煙が山陰線の旅情をいっそう引き立てる。


益田駅(15:38発)から
浜田駅(16:25着)へ


浜田駅(15:38発)から
江津駅(16:25着)へ

この日の宿は何処も満員でやっと有福温泉の「三階旅館」に宿泊出来た。

普段家族の使用している部屋だった。

夕食には芸者を呼んで、下手な「小唄」を披露した。


4日目 昭和47年1月3日

有福温泉の「三階旅館」は江戸時代の木造三階建ての元湯に囲まれた宿だった。

外湯で昨夜の飲み疲れを解消。


江津駅(9:57発)の急行「だいせん2号」で出雲駅(11:11着)へ


出雲駅大社駅から出雲大社へ


雪の残る出雲大社へ参拝し一畑電車で雪の舞う島根県東部の宍道湖の北岸を走り松江へ。


今夜の松江の宿は、水郷松江温泉「ホテル水天閣」。


5日目 昭和47年1月4日

松江城や旧街並みを歩く。

この頃の松江は東京から見るとすごい田舎の街だった。デパートにもほしい商品は売っていなかった。


松江駅から鳥取駅へ




鳥取砂丘を見学し、タクシーの運転手に「松葉かに」を食べさせる「いい店」に連れて行くように頼む。

網元の経営する「千貫松」に連れて行ってもらった。料理は素晴らしく非常に満足。その後数回東京からわざわざ食べに通った。

十数年前、訪ねたが廃業していた。残念!


「千貫松」からタクシーで岩美駅へ


岩美駅から山陰線で城崎駅へ


城崎温泉の宿は「新かめや」。

外湯のはしごを楽しむ。


5日目 昭和47年1月5日

城崎のゆでたての「松葉かに」をお土産に購入して城崎駅から山陰線で京都へ


冬の京都の寺社を散策した。


京都駅近くで会社の先輩に会い夕食を摂る。


京都駅から新幹線で東京駅へ

この冬のボーナス総てをつぎ込んだ旅は終った。

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