目次 ファッション


石津謙介さんとヴァンジャケット




「ふうみん」の映画のサイト
「蔵出し映画缶」のMEに

石津謙介さんの訃報に接して
2005年5月31日に
書いた文章です。

その後のサイトに
「IVY」や「VAN」という
検索語句に
アクセスが多いので

このサイトを立ち上げる
きっかけの
一つになりました。
石津謙介さんとヴァンヂャケット
2005.5.31


石津謙介さんが去る24日に肺炎で亡くなったとの訃報に接した。93歳の大往生だった。「ふうみん」は、石津謙介さんといえば直ぐに「IVY」、「VAN」と、3文字のロゴが反射的に頭をよぎる。

「ふうみん」は団塊の世代である。高校に入りファッションに興味を持った時に、そこに「アイビールック」があった。まさに、このサイトのサブタイトル「〜1960年代映画の玉手箱〜」の映画にのめり込んだ時期と「IVY」、「VAN」は重なって、今でも記憶の残像として残っている。

高校生だった「ふうみん」は、アイビーカットに「VAN」のボタンダウンのシャツを着て、リーガルの靴を履き、「VAN」の紙袋を持ち、池袋の街にたむろしたものだった。…「ふうみん」は銀座のみゆき通りにたむろしなかったので「みゆき族」ではない。友人に「元みゆき族」がいて、この頃の話題になると彼には、今でも1歩も2歩も譲らなくてはならないが。

60年代の中頃は、青山通りに面した「VAN」の本社前を通る度に、こんな会社に入りたいと思ったものだった。しかし、それも60年代後半になると急に色褪せていった。例えばライバルの「JUN」は天井桟敷のポスターのスポンサーになり、下記の「アングラ演劇」の横尾忠則のポスターにその名を残している。

この頃の日本人の大人のファッションは、日曜日に動物園に行くにも背広に白いワイシャツ姿だった。TPOの概念も無かった。現在でも「ほりえもん」見たいな概念のない者もいるが…。

「ふうみん」が日活のアクション映画を評価しないのも、当時の男性俳優のファッションが酷いからである。裕次郎、旭しかりである。

「蔵出し映画缶」で昔の資料を整理していたら平凡パンチ・デラックスの別冊付録が何冊も出て来た。その内に1960年代のファッションの特集でもしたいと思っているが、今回は石津謙介さんを偲んで「VAN」と「IVY」を少し紹介したいと思います。

また、こんな話があります。「VAN」の商標登録時「VAN」の名前はすでに登録されており、しかたなくその下にヂャケットの「・JAC・」を付けたそうです。ですから、正式な商標は「VAN・JAC・」です。これを「ヴァンヂャケット」と呼ぶのが何か、当時は恰好がよかったですね。


穂積和夫さんのIVYのイラスト
1965年、日本製靴(REGAL)
パンフレット表紙より
平凡パンチ・デラックス1966年3月号付録「男の服専科」
IVY STYLE
逆さの頭はアイビーカットだ
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